鶴岡八幡宮
住所 | 〒248-8588 神奈川区県鎌倉市雪ノ下2-1-31 |
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開閉時間 | 6:00~20:30 |
定休日 | なし |
電話番号 | 0467-22-0315 |
FAX | 0467-22-4667 |
公式サイト | https://www.hachimangu.or.jp/ |
公式SNS |
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御祭神
八幡神
応神天皇
比売神
神功皇后 -
御鎮座
治承4年(1180年)
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アクセス |
電車をご利用の方JR横須賀線
JR湘南新宿ライン「JR鎌倉駅」東口から徒歩10分 江ノ島電鉄「江ノ電鎌倉駅」から徒歩10分 車をご利用の方横浜横須賀道路(旭横須賀道路)の朝日奈ICから、県道204号線を鎌倉方面から約5km。 |
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駐車場 |
鶴岡八幡宮 参拝者専用駐車場
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鶴岡八幡宮について
読み方 | つるがおかはちまんぐう |
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住所 | 〒248-8588 神奈川区県鎌倉市雪ノ下2-1-31 |
開閉時間 | 6:00~20:30 |
定休日 | なし |
電話番号 | 0467-22-0315 |
公式サイト | https://www.hachimangu.or.jp/ |
公式SNS |
御祭神と御由緒
御由緒
始まりは、鎌倉幕府を築いた源頼朝公の祖先源頼義が、京都の石清水八幡宮を勧請(神様の御分霊を他の地に遷し祀ること)したことです。頼義は石清水八幡宮を篤く信仰しており、源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀りました。
その後、源頼朝公が現在の地にお遷しし、鶴岡八幡宮の基礎を造りました。
御祭神
八幡神
応神天皇
比売神
神功皇后
御鎮座
治承4年(1180年)
御神徳
家運隆昌・厄除け・厄払い・病気平癒・交通安全・商売繁盛・家内安全・学業成就・諸願成就・長寿・恋愛・良縁・夫婦円満・芸能上達
文化財・宝物など
宝物は以下になります。
【国宝】
太刀 銘 正恒
黒漆矢
朱漆弓
沃懸地杏葉螺鈿平胡録(いかけじぎょうようらでんひらやなぐい)
沃懸地杏葉螺鈿太刀(いかげじぎょうようらでんたち)
御神服【袿】
籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがきにきくらでんまきえすずりばこ )
【重要文化財】
菩薩面
舞楽面
木造弁財天坐像
太刀 銘 長光
太刀 銘 國吉
北条氏綱奉納太刀
紙本墨書 鶴岡八幡宮修営目論見絵図
紙本墨書 鶴岡社務記録
鶴岡八幡宮文書 十五巻
【重要文化財(建築物)】
上下両宮
武内社
丸山稲荷社
大鳥居
【県指定文化財】
獅子型墨壷
銅製亀甲花菱文象嵌擬宝珠(どうせいきっこうはなびしもんぞうがんぎぼし )
堆黒箱
神輿
【市指定文化財】
木造住吉神倚像
新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)
木造桐竹鳳凰文華鬘(もくぞうとうちくほうおうもんけまん)
銅造薬師如来懸仏(どうぞうやくしにょらいかけぼとけ)
経箱
鶴岡八幡宮境内絵図
【市指定文化財(建造物)】
手水鉢
参拝の作法
鳥居の前では一礼をしましょう。
神域に入ったら静かに参道を進みます。
参道の中央は神様の通り道とされていますので、端に寄って歩きましょう。
手水舎にて手と口を清めます。
- 1)右手で柄杓を持ち水をくみ、左手を清めます
- 2)柄杓を左手に持ち替え、右手を清めます
- 3)柄杓を右手に持ち替え、左手で水を受け、口をすすぎます
- 4)左手を清めます
- 5)残った水で柄杓の柄を清め、元に戻します
賽銭箱の前に立ったら軽くお辞儀をし、賽銭箱にお賽銭を入れます。
「二拝二拍手一拝」の作法で拝礼し、軽くお辞儀をしてから退きます。
ご祈禱
受付時間 | 8:30~16:30 |
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所要時間 | 30分~1時間 |
受付場所 | 大石段下 ご祈祷受付 |
ご祈祷・お祓いの種類 | 家内安全、商売繁昌、家運隆昌、初宮詣、七五三詣、安産祈願、交通安全 、厄除、方除、合格祈願、必勝祈願、心願成就、家祓い、渡航安全、病気平癒、お礼参り、成人奉告、結婚奉告 |
各種初穂料 (ご祈祷料) |
1件につき 1万円~ |
備考 |
【個人の方】
受付方法 ・ご祈祷受付所にて申込用紙に必要事項を記入の上、初穂料を添えてお申し込みください。 受付場所 ・大石段下のご祈祷受付 受付時間 ・8:30~16:30 ※正月期間中の祈祷時間については、別途案内いたします。 【法人・10名以上の団体・多くのお札をご希望の方】 事前にお申し出をいただきますと待ち時間も少なくなります。 必要事項をおまとめの上、ご連絡ください。 1. 御祈祷の種類 2. 法人名、代表者名、郵便番号、お住所、お電話番号 3. 初穂料 4. お札に記入するお名前 5. 御参列者数 6. 御参列日時 7. ご連絡先 |
出張祭典について
鎌倉市内のみとなります。
ご希望の方は事前にお電話にてご相談ください。
鶴岡八幡宮社務所
TEL:0467-22-0315
お焚き上げについて
直接お持ちください。神社以外の授与品はお受け致しかねます。
厄年表
男性
前厄 | 24歳 平成13年生 (2001年) |
41歳 昭和59年生 (1984年) |
60歳 昭和40年生 (1965年) |
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本厄 | 25歳 平成12年生 (2000年) |
42歳 昭和58年生 (1983年) |
61歳 昭和39年生 (1964年) |
後厄 | 26歳 平成11年生 (1999年) |
43歳 昭和57年生 (1982年) |
62歳 昭和38年生 (1963年) |
女性
前厄 | 18歳 平成19年生 (2007年) |
32歳 平成5年生 (1993年) |
36歳 |
60歳 昭和40年生 (1965年) |
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本厄 | 19歳 平成18年生 (2006年) |
33歳 平成4年生 (1992年) |
37歳 昭和63年生 (1988年) |
61歳 昭和39年生 (1964年) |
後厄 | 20歳 平成17年生 (2005年) |
34歳 平成3年生 (1991年) |
38歳 昭和62年生 (1987年) |
62歳 昭和38年生 (1963年) |
七五三
3歳(男女)満年齢 数え年 |
5歳(男)満年齢 数え年 |
7歳(女)満年齢 数え年 |
戌の日安産祈願吉日
赤文字の日は大安の戌の日となっていますので、ぜひ参考にしてください。
令和6年(2024年)
1月 | 11日(木)赤口 | 23日(火)赤口 | |
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2月 | 4日(日)赤口 | 16日(金)先勝 | 28日(水)先勝 |
3月 | 11日(月)先負 | 23日(土)先負 | |
4月 | 4日(木)先負 | 16日(火)仏滅 | 28日(日)仏滅 |
5月 | 10日(金)赤口 | 22日(水)赤口 | |
6月 | 3日(月)赤口 | 15日(土)友引 | 27日(木)友引 |
7月 | 9日(火)先負 | 21日(日)先負 | |
8月 | 2日(金)先負 | 14日(水)大安 | 26日(月)大安 |
9月 | 7日(土)赤口 | 19日(木)赤口 | |
10月 | 1日(火)赤口 | 13日(日)先勝 | 25日(金)先勝 |
11月 | 6日(水)先負 | 18日(月)先負 | 30日(土)先負 |
12月 | 12日(木)仏滅 | 24日(火)仏滅 |
令和7年(2025年)
1月 | 5日(日)・17日(金)・29日(水) |
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2月 | 10日(月)・22日(土) |
3月 | 6日(木)・18日(火)・30日(日) |
4月 | 11日(金)・23日(水) |
5月 | 5日(月)・17日(土)・29日(木) |
6月 | 10日(火)・22日(日) |
7月 | 4日(金)・16日(水)・28日(月) |
8月 | 9日(土)・21日(木) |
9月 | 2日(火)・14日(日)・26日(金) |
10月 | 8日(水)・20日(月) |
11月 | 1日(土)・13日(木)・25日(火) |
12月 | 7日(日)・19日(金)・31日(水) |
- 年間行事
- 1月
-
1日 歳旦祭
歳旦祭とは元日の早朝に宮中および全国の神社で行われる年頭の祭儀です。新しい年を寿ぎ、皇室の弥栄と国家の隆昌、氏子崇敬者の安泰と世界の平和、その1年間の大神様のご加護を祈念するお祭りです。
当宮の歳旦祭は、夜も明けようとする午前5時より齋行されます。
歳旦祭終了後、午前7時からは、舞殿にて神楽始式が行われ、八乙女の舞が奉仕されます。1~7日 御判行事
元旦より7日までの間、執り行っています。
御判行事とは、鎌倉時代、戦に臨む武士たちが、出陣に際し額に御神印を戴いたという故実から、御神印を額に押し当てることによって、病気平癒、厄除、無病息災を祈念するものです。またこの御神印によって頭脳明晰になるともいわれ、受験を目前にした学生が行事所に並ぶ姿も見られます。
この御神印は、普段は御本殿の奥深く、御神座近くに奉安されておりますが、お正月の時期に限り、行事所に移されます。
なお、御神印を受けられた方には神符をお授けします。この神符は牛王宝印(ごおうほういん)と呼ばれ、神威が込められており、古くは誓約書に使われていました。3日 元始祭
正月の3日、天皇陛下が宮中三殿において御親祭されるお祭りです。元始祭は、天照大神が瓊瓊杵尊を天上の高天原から地上の豊葦原中国に遣わされ国土をお治めになったことに由来します。年の始めにあたり、天皇陛下が皇位の元始をお祝いし、全国の神社では皇室の弥栄と国家の隆昌とを祈り元始祭が斎行されます。
4日 手斧始式
手斧始式は古来より重要な工事に先立って行われていました。当宮創建の際にも「造営事始」という名で儀式が行われたといいます。
今日では鎌倉全体の工事始めという意味を込めて執行されています。
毎年1月4日、二ノ鳥居より神職の先導の下、鳶職の木遣り音頭とともに御神木が段葛を進みます。御神木は下拝殿前に営まれた祭場に奉安され、神職による祭儀が行われた後、鎌倉の建築業者が「検知」(儀式の責任者)他の諸役を奉仕して、中世さながらの道具と所作により儀式を行います。5日 除魔神事
午前10時より下拝殿で祭儀が執行された後、その西側で装束に身を包んだ射手が大的を射る除魔神事が行われます。
源頼朝公は幕府において「御的始」「御弓始」と称する武家の事始を行いました。弓矢には古来より魔を退ける力があるとされ、弓矢を以って除魔の神事を行うのは武家にとどまるものではありません。当宮の「破魔矢」もこのような信仰と伝統に基づくものです。
神事に用いられる的は5尺2寸(約156cm)、この神事が別名「大的式」といわれる所以です。この大的の裏に「鬼」という文字を封じ込めて15間(27m)の距離から矢を射込みます。成人の日 成人祭
毎年、成人の日
1月の第2月曜日「成人の日」には、下拝殿に新成人の方々を迎えて成人祭を執り行います。
古くより男子は「元服」、女子は「裳着(もぎ)」といった成人の儀式を経て、大人の仲間入りをしました。
この大切な節目にあたって、自分が無事に成長できたことは、神様や祖先のご加護、父母兄弟のおかげであるという感謝をするとともに、大人としての自覚と責任を果たすことをご神前に誓う祭事で、参列の新成人は、普段の神事で用いられる「玉串」の代わりに「白羽の矢」を立てて、ご神前に拝礼します。15日 左義長神事
左義長神事は、一般にトンド焼、ドンドン焼などと呼ばれる民間行事です。八幡宮では1月15日午前7時に源氏池のほとりで執行されます。
お正月の注連飾りや門松など当宮に納められたものを積み上げて祭典を執り行い、浄火でお焚き上げいたします。
一年の始めに当たり、穢れを祓い清めて、暖かい春の到来と今年の豊かな収穫を祈る火祭りともいえましょう。下旬の土日を含む期間 鶴岡厄除大祭
当宮では、1年を通じて随時厄除けのご祈祷をお受けしておりますが、特に1月25日~31日の期間「鶴岡厄除大祭」を執り行います。
厄年は災難に遭ったり、病気になりやすいとされ、さらには当人だけではなく家族や身の回りの人にも悪影響があるといわれています。その一方で、人生の転機を迎える大切な時期でもあり、大事に過ごす年となります。私たちの祖先は、長い経験と知恵の中から「厄年」を見いだし、転ばぬ先の杖として、神様にその年を無事に過ごせるよう祈願し、ご加護を戴くという習わしを生み出してきました。厄年をお迎えの方は是非厄除祈願をお受けください。
- 2月
-
3日 節分祭
節分とは本来季節の分かれ目を意味する言葉ですが、時代を経るにつれ、立春の前日を指す言葉となりました。1年の始めということで特に重視されていたということでしょう。
この日は、御本殿での祭事において弓矢を授けれられた神職が、下拝殿において古式に則り鳴弦の儀を奉仕し、その後年男年女の皆さんによる豆撒きが行われます。初午 丸山稲荷社初午祭
2月最初の午の日は「初午」といわれ、京都・伏見稲荷大社を御本社にあおぐ全国のお稲荷様で「初午祭」というお祭りが執り行われます。
初午祭の起源は、和銅4年(711)2月初午の日に、稲荷の神様が伏見稲荷の三ヶ峰に出現されたことに由来するといわれています。
当宮の丸山稲荷社でも、この日に祭典が執り行われ、氏子の皆様方や特別崇敬者の方々で賑わいます。11日 紀元祭
日本は、神武天皇が橿原の宮にて即位された第一日を建国の紀元とします。のちにこの日が新暦へ換算され、2月11日に紀元節が定められました。紀元節は戦後一時廃止されましたが、昭和41年に「建国記念の日」と名を改め制定され、各地の神社でも建国を祝って、神武天皇の偉業を讃え、日本国民としての自覚を深める意味をこめて紀元祭を行っています。
17日 祈年祭
古くは「としごいのまつり」と訓みました。「とし」とは稔り(みのり)の意味で、春のはじめにその年の五穀豊穣を祈るお祭りが祈年祭です。今日では商工業も含めすべての産業の発展、国家と皆様の繁栄を祈るお祭りとして行われています。
古くはこの祈年祭に際し、朝廷から全国の神社に幣帛(へいはく)が頒布されていました。今日でも、この日は皇居の宮中三殿においても祭儀が行われ、天皇陛下が御親拝なされます。また、全国各地の神社でも祈年祭が齋行されます。
なお、この祈年祭に対応し秋の収穫を祝うお祭りが11月の新嘗祭ですが、農耕民族であった日本人の精神性の源に通じる「祈年祭」と「新嘗祭」は、年に一度の「例祭」と並んで、特に重要な神事とされています。23日 天長祭
天長祭は天皇陛下の御生誕を祝い、聖寿の長久を祈るお祭りです。天長とは、天地とともに聖寿の限りなきことを言祝ぐという意味です。
なお天長祭に対して皇后陛下の御生誕日には地久祭を執り行います。
- 3月
-
18日 宇佐神宮遙拝式
全国に約4万社余りある八幡社の総本社である、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮で例祭が行われる日です。
鶴岡八幡宮でも例祭日を寿いで「宇佐神宮遙拝所」にて神職により遙拝が行われます。春分の日 祖霊社春季例祭
毎年、春分の日
祖霊社例祭は、春分の日・秋分の日の年2回斎行されます。
祖霊社は終戦後、氏子崇敬者の「おみたま」(祖霊)と護国の英霊をお祀りする為に、昭和24年に創建されたお社です。祖霊社の運営は、ご遺族を会員とする「祖霊社維持会」によって行われております。
雅楽の音が響き巫女舞も奉仕される中、厳粛に例祭は齋行されます。多くの参列者は神前に玉串を奉り、ご先祖様へ感謝の心を捧げます。祭典終了後には「祖霊社維持会」の総会が開かれます。下旬 献詠披講式
毎年、3月下旬
披講とは、詩歌に曲節をつけて詠み上げることをいいます。披講は平安時代より宮中に伝わってきた古式ゆかしい行事です。鎌倉時代、源頼朝公が花見の宴を催した際に、管弦詩歌の儀を行ったという記述が『吾妻鏡』に見られます。また源実朝公に至っては家集『金槐和歌集』を遺すほど和歌に精通し、文人将軍として知られています。
このような故事をもとに、当宮では、春3月下旬、舞殿において「献詠披講式」を執り行います。当宮の披講式はご神前に和歌を献詠する神事として執り行われ、披講の諸役は宮中歌会始披講会の先生方の指導を受けた当宮神職が、武家の都・鎌倉の歌会に相応しく直垂に引立烏帽子という出立ちで務めます。披講される和歌は毎年、実朝公の1首、他は公募に依ります。
- 4月
-
2日 由比若宮例祭
由比若宮は元八幡(もとはちまん)とも呼ばれ、現在の地に八幡宮が遷る前のお社でした。源氏一族が古くから治めていた場所であり、由比郷鶴岡(ゆいごうつるがおか)といいました。
この神社は、康平6年(1063)源頼義が「前九年の役」で奥州を平定し帰還した際に、ご守護を祈って出陣した石清水八幡宮の御分霊をお祀りしたのが始まりです。
治承4年(1180)10月、源氏再興を目指し鎌倉に入った頼朝公は、まず先祖が氏神としてお祀りした由比郷鶴岡のお社を、ご神意を伺い、新しい町づくりの中心に相応しい現在の地(大臣山の麓)にお遷ししました。
お遷りになった後も縁の地(ゆかりのち)での祭祀は続き、毎年4月2日には氏子崇敬者参列のもと例祭が執り行われます。3日 若宮例祭
若宮には仁徳天皇・履中天皇・仲媛命・磐之媛命の四柱の御祭神がお祀りされています。 その中の一柱、仁徳天皇は応神天皇の御子神にあたることから、若宮は本宮同様に尊ばれ、当宮で唯一の「摂社」(せっしゃ、本社に次ぐお社の意味)に列格されています。宮司以下神職の奉仕のもと、巫女による萬代の舞が奉奏され、厳かに執り行われます。
初巳 旗上弁財天社例祭
弁財天様のご縁日にあたる毎年4月初巳の日に例祭が執り行われます。
源氏池の中の島に鎮座する旗上弁財天社は、源頼朝公の挙兵に際し弁財天の霊験があったことから、源平池が作られた際にここに祀られたお社です。頼朝公の旗上げに因み開運、商売繁盛、学芸上達などを願う、崇敬者が多く参列し、賑わいます。
また毎月巳の日には旗上げ祈願を申込まれた皆様のご祈祷も行っております。9日 丸山稲荷社例祭
丸山稲荷社は鶴岡八幡宮の末社で、古くからの地主神といわれています。建久2年(1191)に本宮造営の際、現在の場所にお遷りになりました。
丸山稲荷社に到る階段には多くの鳥居が奉納され、願を込めて奉納された朱色の祈願旗が社殿地を囲んではためいています。崇敬者による「丸山稲荷講」も営まれ、参拝者が途切れることのないお社です。
毎年4月9日には例祭が行われます。多数の崇敬者の参列のもと、神職巫女により厳かに執り行われます。21日 武内社例祭
武内社とは、八幡宮の御本殿のすぐ西側に建つ、武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)を御祭神としてお祀りするお社です。
『日本書紀』によると、武内宿禰は十二代景行天皇から十六代仁徳天皇までの五代の天皇にわたって仕え、240余年にわたって政治に携わったことが記されています。そのため、延命と長寿の神様として信仰されています。
当宮の御祭神である神功皇后の三韓征伐・応神天皇誕生後の忍熊王の反乱を討伐するなど、側近として長く政治の執行を助けました。このように神功皇后・応神天皇とのつながりが大変深いことから、御本殿のすぐ側に鎮座されているのです。29日 昭和祭
昭和天皇は、明治34年4月29日に御生誕なさり、大正15年に践祚(せんそ)され、その御在位は64年の永きにわたりました。この間は、波乱と激動の時代でしたが、終戦後の我が国の繁栄を築き上げたのは、国民の努力と昭和天皇の大御心の賜物ともいえます。
昭和天皇御降誕の佳節である「昭和の日」は、平成19年に「みどりの日」より名称が変更されました。この「昭和の日」には、昭和天皇の御聖徳を景仰し皇威の隆昌と国運の発展を祈り、昭和の御代を顕彰する「昭和祭」が行われます。
- 5月
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5日 菖蒲祭
5月5日の「端午の節句」は、「菖蒲(しょうぶ)の節句」ともいわれ、宮中では平安時代より盛んに催された節会の一つであります。菖蒲は古来より不浄を払い邪気を避けるものとされてきました。戦国時代の武将達は、悪魔祓いや災い除けのために、兜の前立に菖蒲を束ねました。そして菖蒲=尚武(武を尊ぶ)と同音であることから、武将達は好んで甲冑の模様に用いました。
徳川時代になると、そうした武器・武具・幟などに対する憧憬が、男子の成長に結びつけられて、武者人形を飾ったりするようになりました。
かつては、家庭で菖蒲や蓬を軒にさしたり、菖蒲湯につかり、今日でも男児のある家で、鯉幟や武者人形を飾り粽(ちまき)を食べたりするのは、病気や邪気を祓い清め、無病息災を祈る古来の心を今に伝える大切な行事です。
当日は氏子崇敬者の無病息災と延命長寿を祈念して午後1時より舞殿において神事が執り行われ、舞楽の奉納があります。28日 白旗神社例祭
若宮の東に鎮まる白旗神社は、源頼朝公、実朝公がお祀りされております。白旗神社は、かつて本宮の西側にあった頼朝公を祀る白旗社と、その西坂の下にあった実朝公を祀る柳営社とを、現在の場所に合祀したお社です。
白旗社については、社伝によると正治2(1200)年5月、頼朝公が白旗大明神の勅号を賜ったことを受けて妻の政子が創建し、頼家が造営したと伝えられています。白旗神社例祭が執り行われるこの時期は、気候も良く参拝者は鎌倉市内だけではなく、遠方からも来られ、賑々しく執り行われます。
- 6月
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上旬 御日供献饌講講社祭
毎年、6月上旬
鶴岡八幡宮では、毎朝ご神前に神饌をお供えして御日供祭を奉仕しております。
その御日供をご奉納いただいております奉献者の集まりを御日供講と称し、ご奉献日に行われる日々の御日供祭のほか、年に一度、6月に講員のための講社祭を執り行っております。祭典当日は、多くの参列者にて境内は賑わいます。上旬 蛍放生祭
毎年、6月上旬
蛍放生祭は、蛍の生育と放生を通じて豊かな四季と生命の尊さを思い、その中で生きる私たちをお護り下さる神々に感謝の気持ちをお伝えするお祭りです。
当日は夕刻より舞殿にて神事が行われます。柳原神池で育った蛍も御神前にお供えされる中、厳かに祭儀は執り行われ、巫女による舞が奉仕されます。笙の音が浄らかな闇を包む中、宮司以下神職たちの手によって神池に放たれた蛍は静かに飛び立ち始めます。神域を舞い飛ぶ幻想的な蛍の光は、私たちに脈づく「日本の心」に深く沁み入ります。7日 今宮例祭
鶴岡八幡宮の末社である今宮(いまみや)は新宮とも書き、土御門上皇・後鳥羽上皇・順徳天皇をお祀りしています。
今宮は『吾妻鏡』『新編相模國風土記稿』『新編鎌倉志』等によれば、寶治元年(1247)4月25日、承久の乱により隠岐島へと流された後鳥羽上皇の御霊を慰めるため、鶴岡の乾の山麓に御社を建立したとあります。また、社後には根1つから6本に分かれた大杉があり、ここに天狗が住んでいたという言い伝えもあります。
鎮座日を旧暦から新暦に推歩し6月7日を例祭日として、年に一度の例祭は厳かに執り行われています。30日 大祓
私たちは、日々生活をする中で知らず知らず人を傷つけてしまったり、罪や過ちを犯してしまうことがあります。「大祓」は、これら心身の罪穢(つみけがれ)を祓い清め、人として清浄で正直な心に立ち返り、明るく穏やかな世の中になるよう祈る神事です。
この神事は古くから全国の神社で行われ、どなたでも参加することが出来ます。
当宮では6月30日と12月31日に大祓式を行っています。参列される方は神職と共に「大祓詞」を唱え、麻と紙を小さく切った切麻を身にまいて、半年間の罪穢を祓います。参列出来ない方は形代(かたしろ)、撫物(なでもの)、人形(ひとがた)などと呼ばれる人の形に切り抜いた紙に、氏名、年令を書き、息を吹きかけ身体を撫でたものを、大祓式当日までに当宮へお届け下さい。ご一緒にお祓い致します。
6月の大祓には「茅の輪くぐり」が行われますが、これは『備後国風土記』逸文の蘇民将来の故事から起こったものと言われています。
- 7月
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7日 七夕祭
7月7日、七夕の夜に一年に一度、天の川を渡り彦星と織女が出会います。古くは中国から伝えられたものといわれ、中国の「乞巧奠」(きっこうてん)や星祭と、わが国固有の信仰とが習合して現在のような形になったといわれています。
様々な願い事が書かれた、梶の葉をかたどった色紙と短冊型や鳩の形に折られた絵馬が、七夕祭の行われる舞殿の周りに結ばれてご神前に奉納されます。
境内の楼門内や舞殿の四方には、彩り豊かなくす玉と吹流しなどの七夕飾りが笹竹に掲げられ、賑わいをみせます。七夕祭でお供えする神饌には、古式に則り、ウリやナス、ササゲなど季節の食材を用い、机上には琴や琵琶などの楽器を手向け、巫女による神楽も奉奏されます。
- 8月
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立秋の前日~9日 ぼんぼり祭
毎年、8月立秋の前日~9日
ぼんぼり祭は、毎年8月に立秋の前日から9日までの3日間(年により4日間)行われる、鎌倉の夏の風物詩ともいえるお祭りです。
期間中、立秋の前日には夏の祓いである夏越祭、立秋当日には暦の上での秋の訪れを奉告する立秋祭、そして源実朝公の誕生日である9日には実朝祭が執り行われます。 境内には鎌倉にゆかりのあるの文化人をはじめ各界の著名人に揮毫いただいた書画約400点がぼんぼりに仕立てられ、参道に並びます。 夕刻になるとぼんぼりに灯りがともされ、境内は夜まで賑わいます。立秋の前日 夏越祭
毎年、8月立秋の前日
当宮では昭和13年に始められたお祭りで、古来から夏の終わりに行う祓「夏越の祓」を源平池のほとりで行った後、参道で「茅の輪くぐり」を行い、疫病・災禍を祓い鎮め、天下泰平・五穀豊穣を祈ります。舞殿では巫女により「夏越の舞」が奉納されます。立秋の日 立秋祭
毎年、8月立秋
夏の無事を感謝し、実りの秋の訪れを奉告するお祭りで、昭和25年より始められました。御神前には神域で育まれた鈴虫が供えられます。9日 実朝祭
源実朝公の誕生日に執り行うお祭りで、昭和17年より始められました。実朝公の御遺徳を偲ぶとともに、文芸に優れた公にちなみ、俳句会、短歌会も催されます。
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14日 宵宮祭
例大祭前夜、いよいよ明日に控えた祭の齋行を大神様に御奉告いたします。
15日 例大祭
毎年9月14日から16日までの3日間、当宮では例大祭が盛大に齋行されます。
『吾妻鏡』によれば、文治3年(1187)8月15日に放生会(ほうじょうえ)と流鏑馬が始行されたとあり、これが当宮の例大祭の始まりとなります。以来絶えることなく800年以上の歴史と伝統が現在に伝えられており、一年を通して最も重要な祭事です。神社本庁より幣帛(へいはく)を奉る献幣使(けんぺいし)を迎え、宮司以下神職、巫女、八乙女(やおとめ)が奉仕し、大勢の参列者を迎えて厳かに齋行されます。御神前には鈴虫も供えられ、静粛な空気の内にも秋らしい虫の音が響きます。15日 神幸祭
大神様を神輿(みこし)にお遷しして氏子区域を親しくお渡りいただくお祭りです。氏子により神輿3基を担ぎ、宮司以下神職、錦旗、神馬、高張提灯、太鼓、盾、弓矢などからなる数百メートルの行列が若宮大路を二ノ鳥居まで進みます。二ノ鳥居の下には御旅所(おたびしょ)が設けられ、緑の千早、緋袴姿の八乙女たちによる八乙女舞が奉納されます。
16日 流鏑馬神事
鎌倉武士さながらの狩装束に身を包んだ射手が、馬で駆けながら馬場に配された3つの的を射抜く勇壮な神事で、源頼朝公の時代より800年の伝統を受け継いでいます。弓馬術礼法小笠原教場宗家以下一門のご奉仕により勇壮に行われ、鎌倉時代を彷彿させます。
16日 鈴虫放生祭
例大祭で御神前にお供えした鈴虫を神域の自然の中に放す神事です。放生とは生き物を放つことであり、生命の尊さや季節に対する感性を大切に守り伝えようと、平成16年より始められたものです。儀式は舞殿にて執り行われ、雅楽の演奏と巫女による神楽舞を奉仕した後、柳原神池のほとりに鈴虫を放ちます。
秋分の日 祖霊社秋季例祭
毎年、9月秋分の日
祖霊社例祭は、春分の日・秋分の日の年2回斎行されます。
祖霊社は終戦後、氏子崇敬者の「おみたま」(祖霊)と護国の英霊をお祀りする為に、昭和24年に創建されたお社です。祖霊社の運営は、ご遺族を会員とする「祖霊社維持会」によって行われております。
雅楽の音が響き巫女舞も奉仕される中、厳粛に例祭は齋行されます。多くの参列者は神前に玉串を奉り、ご先祖様へ感謝の心を捧げます。祭典終了後には「祖霊社維持会」の総会が開かれます。
- 10月
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初旬 崇敬者大祭
毎年、10月初旬
崇敬者大祭は、「槐の会」が目指す健全で明るい社会が築かれるよう、八幡大神様の御神威の益々の発揚を願い、毎年10月初旬に執り行われる祭事です。
この大祭に併せて、鶴岡八幡宮が継承して来た精神文化を象徴する「流鏑馬」を9月の例大祭に準じて執り行います。この流鏑馬に際しては、会員のみならず一般参拝者にも拝観の機会を提供し、また「槐の会」の国際交流活動の一端として「国際交流席」を設置して、在日各国公館を始めとする在留外国人の皆様にも日本文化をよりよく知って戴く機会としています。17日 神嘗奉祝祭
神嘗祭(かんなめさい)とはその年に収穫された新穀を、まず日本の総氏神様である伊勢の神宮へ奉り、収穫感謝を申し上げるお祭りです。年間行われる神宮祭典の五大祭の一つに数えられ、神宮では社殿を装飾する祭器具等すべてを新調しこの日を迎える大変重要なお祭りです。宮中においても天皇陛下御自ら水田にて稲をお作りになられ、様々な祭儀が執り行われ、豊年を祝します。
当宮においても、神嘗祭当日(10月17日)に奉祝の気持ちを込めて、神嘗奉祝祭が厳かに行われます。28日 白旗神社文墨祭
10月28日は、当宮末社である白旗神社の御祭神である、源実朝公が右大臣に任命された日に当たります。
実朝公は鎌倉幕府三代将軍であり、歌集『金槐和歌集』に代表されるように、歌人としても大変名高いことで知られます。鎌倉は文士の多く住むところとなり、実朝公の御遺徳を偲び、昭和19年より文墨祭が始められました。当日は多くの文人が集まり、茶会などが催され、日本の風情を感じさせます。
- 11月
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3日 明治祭
昭和2年に明治天皇の御生誕を記念し「明治節」が定められ、戦後は「文化の日」と改められ国民の祝日となって引き継がれています。この日は明治神宮をはじめ、各地の神社で明治天皇の御聖徳を称えるお祭りが行われます。
8日 丸山稲荷社火焚祭
11月8日は古くから鞴祭り(ふいごまつり)の日といわれます。
お稲荷さんの総本社である伏見稲荷大社では、この日にお火焚きが行われます。当宮の末社、丸山稲荷社でも火焚祭が行われ、五穀豊穣への感謝、そして氏子の無病息災を祈ります。また、祭典に続き、当宮神楽男が伝承してきた神楽が神職により奉納されます。この神楽は鎌倉時代には既に行われており、一般には「鎌倉神楽」と呼ばれ、境内には素朴な笛と太鼓の音色が鳴り響きます。15日 七五三祈請祭
11月15日は七五三祝の日で、当宮境内は、晴れ着の子供たちで一層賑わいを見せます。
古くは髪置、袴着、帯解と言われ、髪置は3歳になって髪を伸ばし始め、袴着は5歳の男子が袴をはく時期、帯解は7歳の女子が初めて帯を着用するための祝いの行事です。
特に江戸時代の徳川綱吉の子、徳松がこの日に祝ったことから、11月15日に定着したと伝えられています。
いつの時代も子供の成長を願う親の気持ちに変わりはありません。当宮では大神様のご加護を頂き、日頃の感謝と共に、お子様の益々のご成長を祈願致しております。23日 新嘗祭
新嘗祭とは、土地の神様に、その年の五穀豊穣を感謝するお祭りで、宮中では天皇陛下が神々へ新穀を奉られ、御自らもお召し上がりになられます。古くは収穫された新穀をまず伊勢の神宮へ献上し、11月23日の新嘗祭をもって、天皇陛下、そして国民が初めて食すことができる風習がありました。
当宮では鎌倉市内の農家より、稲をはじめ野菜、果物などを大神様にお供えし、収穫の喜びと感謝の気持ちを込め、変わらぬ国の弥栄を祈念しております。
- 12月
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9日 地久祭
地久祭は天皇陛下ご生誕の「天長祭」に対して、皇后陛下のご生誕を祝し執り行われる祭事で、皇室の弥栄と国運の隆昌を祈念します。老子の「天長地久」の言葉より用いられました。
16日 御鎮座記念祭
この祭典で行われる御神楽は当宮の創建当初より伝わるもので、800年余りの歴史をもっています。源頼朝公の先祖である源頼義が、源氏の氏神である石清水八幡宮を由比郷鶴岡(現在の材木座付近)へ勧請し、後に頼朝公が源氏旗上げの際、現在の地へ遷し祀りました。
その後、町屋からの火災によって社殿は焼失しましたが、頼朝公は直ちに造営しました。建久2年11月21日の遷宮の日、頼朝公は束帯、帯剣の正装で参列し、『吾妻鏡』には「好方、宮人曲を唱し、頗る神感の瑞相あり」と記されているように、この遷宮の秘儀には京都より伶人、多好方を招いて奉仕させました。
現在では、新暦に換算した日である12月16日に御鎮座記念祭を執行しております。夕刻5時の本宮での神事の後、舞殿北庭でその当時唱えられた「宮人曲」を復元して御神楽が奏され、人長の舞も奉奏されます。浄暗の中、かがり火に映える舞姿はまことに優雅で、800年前の幽玄な世界が偲ばれます。31日 大祓
私たちは、日々生活をする中で知らず知らず人を傷つけてしまったり、罪や過ちを犯してしまうことがあります。「大祓」は、これら心身の罪穢(つみけがれ)を祓い清め、人として清浄で正直な心に立ち返り、明るく穏やかな世の中になるよう祈る神事です。
この神事は古くから全国の神社で行われ、どなたでも参加することが出来ます。
当宮では6月30日と12月31日に大祓式を行っています。参列される方は神職と共に「大祓詞」を唱え、麻と紙を小さく切った切麻を身にまいて、半年間の罪穢を祓います。参列出来ない方は形代(かたしろ)、撫物(なでもの)、人形(ひとがた)などと呼ばれる人の形に切り抜いた紙に、氏名、年令を書き、息を吹きかけ身体を撫でたものを、大祓式当日までに当宮へお届け下さい。ご一緒にお祓い致します。
31日 古神札焼納祭
6月同様に氏子崇敬者の皆様が御守護への感謝の真心を捧げて神社に返納した神札・御守などの授与品を神職が祓い清めて浄火により焼納する神事です。
31日 除夜祭
除夜とは大晦日を意味する除日の夜を意味します。除夜祭は一年を締めくくるお祭りで、この一年を無事に過ごせたことを感謝すると共に、心身を清め、新しい気持ちで、新年を迎えるための祭事です。
授与品・御朱印
- お守り
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- おみくじ
- 〇
- 絵馬
- 〇
- 御朱印
- 〇
- 御朱印帳
- 〇
- お焚き上げ
- 〇
お守り
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仕事守
当宮の由緒ある流鏑馬神事で的を射るが如く、良い仕事、就職に恵まれますよう祈願をしたお守りです。
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破魔矢守
古来より弓矢などの武具には攘災招福、厄除の意味があります。自身に降りかかる災いを打ち祓う意味が込められています。
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刀守
古来より武具には災い・厄難を祓う信仰があります。刀守は、当宮の厄除のお守りとして長い伝統があります。厄難を断ち切る刀守は力強く厄を祓いやります。
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安産守
「槐」(えんじゅ)の木は、当宮の御祭神である神功皇后が、御子神応神天皇をこの木の下でご出産なされたという伝承から、安産を願う「子安の木」、八幡様に縁深い木として親しまれています。お守りには当宮の御神紋である鶴丸紋と槐を模り、安産を祈念したお守りです。
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縁結守
静御前が義経への愛を詠った「しづやしづ しづのをだまきくり返し 昔を今になすよしもがな」という歌に因んだお守りです。
「『静や、静』と繰り返し呼んでくれた義経。同じ言葉の『しづ』のおだまきは繰り返し布を作るのだから、同じように昔の日々も今一度現実にすることができたらいいのに。」 -
美心守
真の美しさと清らかさは内面から。 美しい心に神様は自然と寄り添い、私たちに徳(しあわせ)を与えて下さいます。 御神紋の鶴丸紋を施した鏡に美しい心が映し出され、身も心にもしあわせが宿るよう祈願したお守りです。
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鳩鈴守
八幡様のお使いとして境内を羽ばたく鳩は、古来から人々に愛されてきました。 八幡様の「みたま」の幸が、鈴の音清々しく伝わりますよう祈願をしたお守りです。
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折鶴叶守
鶴岡八幡宮の名に因んだ鶴に、八幡様のおちからを折り込めて、広く願いが叶うよう祈願したお守りです。
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大いちょう絵馬
平成22年3月に倒伏した御神木の大銀杏。 現在は残った根から若木がすくすくと生長しており、今も多くの参拝者の皆様が変わらず思いを寄せて下さっています。 皆様それぞれの願いが、空に向かって力強く伸びゆく若木のごとく、神様のもとへ届きますよう祈願した絵馬です。
氏子区域
崇敬会のご案内
「槐の会」日本人の心の源流を”未来”に
「槐の会」は健康で明るい社会づくりを目指す当官の外部団体です。
日本の伝統文化の継承、青少年の健全な育成、自然環境の保護、国際交流推進、会員の資質向上を目標として、その達成のために積極的な活動を鶴岡八幡宮と共に行ってまいります。
<活動内容>
1.鶴岡八幡宮の行事を通じて伝統文化の振興を図る活動
2.青少年の育成のための活動
3.自然環境のための活動
4.国際交流と相互理解を推進する活動
5.会員相互の親睦を深め一人ひとりの素養を高める活動
具体的な活動内容や、会員特典、入会の申し込みは「槐の会 公式HP 」でご案内しております。
<HP> http://www.enjunokai.jp
<TEL> 0467-22-0315(代表)
<mail> enju@hachimangu.or.jp
槐の会 事務局